ウェルギリウスの『農耕詩』第4巻の初めには、自然と共生する老人の姿が描かれています(詩人の思い出という形をとっています)。蜜蜂の生態を語る箇所ですので、文学の技法上「脱線話」(digression)の一つとみなされます。
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なぜなら私は思い出す。黒いガラエスス川が黄金色の畑を潤しているオエバリア(タレントゥム)の城塞の塔の下で、かつてコリュクス人の老人を見たときのことを。彼は、この地に数ユゲラの荒れた土地を持っていた。127
それは牛がすき返すような肥沃な土地ではなく、家畜の群れを飼うのにも適さず、葡萄を栽培するにも好都合ではなかった。だが彼は、藪のあちこちに間隔をあけて野菜を育て、その周りには白いユリとクマツヅラ、ほっそりしたケシの花を植えた。心の中では王侯の富に匹敵すると考え、夜遅く帰宅しては、金で手に入らないご馳走を食卓の上に山積みするのであった。134
春には真っ先にバラを、秋には果実を摘み取った。厳しい冬が岩を寒さで打ち砕き、氷によって川の流れを止めるころ、彼はすでに柔らかなヒアシンスの花を切り、夏の到来が遅い、西風はぐずぐずしているとなじるのであった。それゆえ、彼の蜜蜂がどこよりも早く繁殖を始め、多くの群れで一杯になると、彼はまっさきに蜜蜂の巣を押しつぶし、泡立つ蜜を集めた。141
彼の育てた菩提樹やガマズミは、実に見事に葉を茂らせた。多産な木は、花が咲き始めると、たくさんの実でその身を飾り、秋には同じ数の果実で枝もたわわになった。彼はまた、高く伸びた楡の木、堅い梨の木、すでに実をつけているリンボク、酒を飲む者たちに木陰を提供するスズカケの木を整然と移し替えた。だが時間の余裕がない今は、これらの話題に触れることは避け、後の人々に語ってもらえるよう残しておこう。
牧歌/農耕詩 (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 小川 正広