「リッテリース・アプセンテース・ウィデームス」と読みます。
litterisは「文字」を意味する第1変化名詞 littera,-ae f. の複数・奪格です。複数で「文学、学問」を意味します。この文では「手段の奪格」として使われています。
absentesは「存在しない、不在の、遠くの」を意味する第3変化形容詞 absens,-entis の男性・複数・対格です。この単語は(1)名詞としても、(2)形容詞としても解釈できます(後述)。
videmusは「見る」を意味する第2変化動詞 video,-ere の直説法・能動態・現在、1人称複数です。
ここで、absentesを(1)名詞とみなした場合の訳を考えます。
この場合、absentesはvidemusの目的語になり、「そばにいない人たちを」と訳せます。
文の全体は、「私たちは文字によってそばにいない人たちを見る」と訳せます。
「そばにいない人たち」とはだれか。文学作品を残した過去の作家たちと考えた場合、litterae(litterisの複数・主格)は「文学作品」と解釈してもよいでしょう。
あるいは、absentesを亡くなった過去の人たち(自分の肉親等)を指すと考えてもよいでしょう。その場合、litteraeは「手紙」と訳すことも可能です。
absentesは、今生きていて遠く離れて住む人も意味しますので、「手紙によって、我々は遠くにいる人の姿を見る思いがする(=姿がまぶたに浮かぶ)」と意訳することもできます。
次に、(2) absentesを形容詞とみなした場合の解釈です。この場合、「そばにいない」という状態は、文の主語である「私たち」(省略されたnos)の状態を示すとみなします。nosイコールabsentesと考えて、「私たちはそばにいなくても」と訳すことができます(形容詞の「述語的用法」)。
文の全体は、「私たちはそばにいなくても文字によって見る」と訳せます。
「そばにいなくても」は「その場にいなくても」と訳すこともできます。文字は文学でもよいです。
文学作品は架空の世界を描きますが、読み手である私たちは、想像力を用いることで、あたかもその世界の中で何もかもを見聞きするかのようにふるまうことができます。
このように解釈するとき、「私たちはその場にいなくても文学によって(さまざまなものを)見ることができる」と意訳可能です。
(2)の解釈は、videmusの目的語が書かれていないので、現代語になれた人には思い浮かばない解釈だと思いますが、ラテン語は(日本語のように)あえて目的語を明示しないことがよくあります。「文学は人々の想像力に訴えることで様々なものを目の当たりにさせる力を持つ」という趣旨の一文ととらえることは可能です。