Non quia difficilia sunt, non audemus; sed quia non audemus, difficilia sunt.

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「ノーン・クゥィア・ディッフィキリア・スント・ノーン・アウデームス・セド・クゥィア・ノーン・アウデームス・ディッフィキリア・スント」と読みます。
全体がNōn A sed B(AでなくB)の構文になっています。英語のNot A but Bと同じです。
冒頭のNōnはquiaの導く理由文を否定しています。「~だからではない」。
quiaは「~なので」を意味し、理由文を導きます。
difficiliaは3変化形容詞 difficilis,-e(難しい、困難な)の中性・複数・主格です。
suntは不規則動詞sum,esse(である)の直説法・現在、3人称複数です。
主語は明示されていませんが、我々が取り組む課題を意味していると考えられ、それが中性・複数の名詞としてとらえられています。
二つ目のnōnはaudēmusを否定します。
audēmusは「あえて行う、勇気を出して行う、挑戦する」を意味する第2変化動詞 audeō,-ēreの直説法・能動態・現在、1人称複数です。
ここまでをまとめると、「我々は(取り組む課題が)難しい(difficilia)から(quia)挑戦しない(nōn audēmus)のではない(Nōn)」と訳せます。

後半先頭のsedは「しかし、むしろ」を意味する接続詞です。
quiaは「~なので」を意味し、理由文を導きます。
nōnは「~でない」。audēmusを否定します。
audēmusは「挑戦する」を意味する第2変化動詞audeō,-ēreの直説法・能動態・現在、1人称複数です。
difficiliaは第3変化形容詞difficilis,-e(難しい)の中性・複数・主格です。
suntは不規則動詞sum,esse(である)の直説法・現在、3人称複数です。
後半は、「むしろ(sed)我々が挑戦しない(nōn audēmus)ので(quia)それら(=我々の課題)は難しい(difficilia sunt)」と訳せます。

全体を訳すと、「難しいから挑戦しないのではなく、挑戦しないから難しい」となります。
セネカの『倫理書簡集』に見られる表現です(Ep.104.26)。

セネカ哲学全集〈6〉倫理書簡集II
セネカ Seneca

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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