「アド・スペルウァクア・スーダートゥル」を読みます。
adは「<対格>に」を意味する前置詞です。
supervacuaは第1・第2変化形容詞supervacuus,-a,-um(無益な、無駄な)の中性・複数・対格です。名詞的に用いられています。
sūdāturはsūdō,-āre(汗をかく)の直説法・受動態・現在、3人称単数です。自動詞の受動態は、「汗をかく」という行為が一般的になされる、と解釈し、「人は汗をかく」と訳せます。
全体の訳は「人は無駄なことに対して汗をかく」となります。
セネカの『倫理書簡集』に見られる表現です(Ep.4.11)。
岩波書店の訳では、「余計なものを求めて人は苦労の汗を流す。」となっています。
amazonでは兼利、大西両先生の名前がありますが、『倫理書簡集 I』の訳は高橋宏幸先生です。
<文法の補足>
自動詞の受動態(3人称単数)は非人称的に用いられます。「誰が(何が)~される」という形(人称的)ではなく、「その動作や行為が一般になされる」という意味で使われます。例えば、eōは「行く」という意味ですが、ītur(現在幹ī+tur)は「行くことがなされる」、すなわち「人は行く」という意味です(この「人」は一般的な「人」の意味)。
例文として、Sīc ītur ad astra. (Verg.Aen.9.641) 人はこのようにして星々に向かう。