英語教育にかかわる一般的過ちについて

  • URLをコピーしました!

たとえば、電卓の使えない環境で149かける8は?と聞かれ、われわれはどのような行動をとるだろうか?だれだって筆算で解こうとするだろう。ここで考えて欲しいことは、九九が頭に入っていないと筆算はできないという事実である。まず9と8をかけて72、つぎに4と8をかけて32、つぎに1と8をかけて...という具合に。

ひるがえって、英語学習における九九とは何か?わたしは中学校の英語で習う例文がこれにあたると考える。そして、このレベルに問題を抱えながら(=かけざんの九九も知らずに)、より高度の(=数学で言えば微分や積分の学習といったレベルの)学習に追われる高校生、大学生に哀れみを禁じえない。

数学に関して言えば、だれだって九九は知っているだろう。では英語はどうか。中学で習う例文は、たしかに英語から日本語は直せるかもしれない(これも本当の所はあやしい話だが...)。だが、これで「自分は中学英語は卒業」と勘違いする学生のなんと多いことか。よくいわれるように、日本人は道案内すら外国人にできない。アンケートによると(京都新聞の調査による)、「自分の英語力はビジネス社会で通用する」と答えた大学生は、全体の3パーセントという結果であった。

中学で英文法の大半は習う。道案内の仕方も中学2年生の教科書に出てくる。このレベルなら本来、日本語から英語に瞬時に直せて(綴りも正確に書けて)当然である。「ありがとう」→「Thank you.」くらい俊敏に...いいかえるなら,3かける4?といわれて考え込むようでは、筆算はできないように、中学で習う英語が自由にあやつれない状態では、あらゆる応用的な学習が空しいものになる。さらに恐ろしいことは...英語そのものを嫌いになってしまうことだ。

では、なぜ基礎があやふやなまま大学に入学することが(場合によっては)可能なのか。例えば、はじめに取り上げた算数の計算問題を大学入試風に出題すると、こうなる。

問い:次の計算について、正しい答えを一つ選べ。

149×8= (1)1190 (2)1191 (3)1192 (4)1193

原則的には計算用紙で筆算をし、答えを出してから(3)番を選ぶ、という手順を踏むべきである。しかし昨今の中学,高校の学習では、教師は試験範囲をあらかじめ教えるのが一般である。つまり、生徒はテストで出題される問題を前もって知っているのである。算数の例えをかりると、149×8は必ず出題されるから、計算練習をするより、答えの1192を覚えたほうが早い!ということになる。

裏をかえせば、かけ算の九九ができなくても、正解は出せるしくみである。めんどうな(?)かけ算の九九を暗記するより、先生の黒板に書くことを正しくノートにコピーし、それを強引に暗記する作業がよい重要になる。言葉は悪いが、先生に管理されることを無意識のうちに進んで行う気質が出来上がるのだ。

要領のいい生徒は、1192という解答例を「イイクニ・・」などとし、正解を覚えやすくする工夫を凝らすであろう。このような「お利口な」生徒たち(=通知簿で優秀な生徒たち)は推薦入試で早々と大学合格を決めていく.あるいはセンター試験のような、4択式の問題で、日頃の「利口さ」(試験範囲を事前にリサーチすること,その解答例を頭にインプットしておくこと)が十分功を奏するであろう.

すなわち、最近の大学入試の問題は、断然選択形式が幅をきかせている。記述式の問題を出す大学は国立の2次試験を除けばほとんど姿を消している。よく出る問題は何か?この情報こそ、受験生にとって最も重要である。そしてその答えを手っとり早く、暗記する。知らない問題が出たらどうするか。何も悪びれる必要はない。思いつく答えをとりあえず選んでおけば、いくつか必ず当たるだろう。

統計学的に、4択の問題で0点をとることはきわめて困難であり、基本的にはだれだって、30点以上はとれる計算である。また、私がざっとみたところ、高校入試で出題されてもおかしくない問題も、大学入試において出題されている。すなわち、ここをはずさなければ、20点前後は確実にはいる。あとはその人の運と実力次第。

だれだって暗記中心の学習ばかりだとたいくつする。大学に入って、英語の勉強に興味をもつはずもない。「やれやれ終わった」という顔をしている。私の述べていることは、もしかすると正しくないかもしれない。しかし、問題は、英語と聞いて後込みする日本人が余りに多い現状だ。

世界の標準語は、まぎれもなく英語である。だが、実用レベルで求められる英語の実力は、暗記中心の学習で身に付く内容とは異なっている。数学で言えば、最低限、正確な計算力は身につけなければならないが、教科書の微分積分の問題が解けなくても生活はできる。国語で言えば、漱石や鴎外の文章は読めなくても、当用漢字の知識は不可欠であろう。同様に、同じ暗記するなら、中学英語こそ精を出して丸暗記していただきたい。「試験に出ないから」(本当は出ているが...)という理由でそっぽを向く態度が、結果的に英語に対する恐怖心をあおる結果を招いている。

せめて高校では、中学英語を実地に応用するノウハウをもっと教えてもらいたい。英会話も大切だが、インターネットによる新しいコミュニケーションの形態を視野に入れるとき、自分の考えを正確に英語で表現する練習もそれに劣らず大切である。「英作文」とは、他人の作った日本語を英語に直すことを意味するのではないはずだ。「ここをテストに出すぞ!」といえば、生徒が急に静かになる、という快感は教師にとって、捨てがたい味わいだろうが、生徒に試験範囲を知らせてテストをするのは、単にカンニングを奨励するようなものである。最悪なのは、選択肢がないと自分で解答を生み出そうとしない人間が量産されることである。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

目次