西洋古典

『イリアス』の冒頭

『イリアス』とは、トロイアの別名「イリオスの物語」という意味です。第一巻冒頭は次のように始まります。

「怒りを歌え、女神よ、(3)ペレウスの子アキレウスの---アカイア勢(ギリシア勢)に数知れぬ苦難をもたらし、あまた勇士らの猛き魂を冥府の王(アイデス)に投げ与え、その亡骸(なきがら)は群がる野犬野鳥の食らうにまかせたかの呪うべき怒りを。かくてゼウスの神慮は遂げられていったが、はじめアトレウスの子、民を統べる王アガメムノンと勇将アキレウスとが、仲違いして袂(たもと)を分かつときより語り起こして、歌い給えよ。」(岩波文庫、松平千秋訳)

『イリアス』は、「アキレウスの怒り」を意味する「メーニス」という語で始まります。この怒りは、ひいては友パトロクロスの死を導く遠因となり、最終的にはヘクトルを倒す力となって現れます。ギリシア軍によるトロイア攻略は、通例オデュッセウスの考案した木馬の計によるものとされますが、『イリアス』の冒頭は、アキレウスの怒りに言及することにより、ヘクトルを倒したアキレウスこそトロイア攻略の主役であることを示唆しています(『イリアス』において、全巻はヘクトルの埋葬のシーンで終わる。すなわち、木馬の計によるトロイア陥落のシーンは描かれない。)

「女神」とは文芸の守り神ムーサのことです。ゼウスとムネーモシュネーの間に生まれた文芸・学芸を司る九人の姉妹神のことです。古代においては、叙事詩の初めにムーサに呼びかける習わしがありました。たとえば、ヘシオドスの『神統記』の冒頭」は次のように始まります。(岩波文庫、廣川洋一訳)

ヘリコン山の詩歌女神(ムウサ)たちの賛歌(ほめうた)から歌いはじめよう
彼女たちは ヘリコンの高く聖(きよ)い山に住み
足どりも優しく舞い踊るのは 菫(すみれ)色した泉のほとり
クロノスの力つよい御子(みこ)(ゼウス)の祭壇の辺(へ)。

ペレウスと女神テティスからアキレウスが生まれました。ペレウスとテティスの結婚は、トロイア戦争の遠因となります。争いの女神エリスが、結婚式の場で、「最も美しい女に」と記した林檎を神々の間に投げ入れ、美女を自認する三人の女神、ヘラ、アテネ、アプロディテの争いを招きました。ゼウスの命令で、トロイアの王子パリスが美の審判を行うことになりましたが、彼は「最も美しい女」を約束してくれたアプロディテを一番に選びます。彼はギリシアの王メネラオスの妻ヘレネを奪い、トロイアに連れ帰ったため、メネラオスがギリシア中の諸王に呼びかけ、兄アガメムノンを総指揮官とするトロイア遠征軍が組織されます。

冥府の王はハデスとも呼ばれます(ローマ神話のプルートです)。クロノスとレアの子で、ゼウス、ポセイセイドンの兄弟、妻はペルセポネ(ローマ神話ではプロセルピナ。ゼウスとデメテルの娘)(cf.「ペルセポネの略奪」)です。

『イリアス』は10年に及ぶトロイア戦争における最後の決戦に焦点を当てています(オデュッセウス考案による木馬のエピソードまでは描かれない)。例えば、戦争の原因となったパリスの審判や、ギリシア軍出陣に際して犠牲に捧げられたイピゲネイア(アガメムノンの娘)のエピソードなど、直接描かれないエピソードは数多くあります。

-西洋古典
-,

© 2020 山下太郎 Powered by AFFINGER5