西洋古典

厳格で非情な死の定め:ルクレーティウス

optima quaeque dies miseris mortalibus aeui
prima fugit; subeunt morbi tristisque senectus
et labor, et durae rapit inclementia mortis.
「哀れな死すべき生き物にとって、各々の最良の日々は
いち早く逃げ去る。病気と悲しい老年と苦しみが後に続き、
厳格で非情な死の定めが(生を)奪い去る。」 (ウェルギリウス『農耕詩』3.66-68)

『農耕詩』第3巻は、家畜の飼育を主題としています。その初めのあたりで、詩人は上のように述べています。「厳格で非情な死の定め(直訳は、「厳しい死の非情さ」)が(生を)奪い去る。」という表現 は、個々の生が、いつかは滅ぶ定めにある点に光を当てています。 注目したいことは、この表現に続けて、次のように語られる点です。

semper erunt quarum mutari corpora malis:
semper enim refice ac, ne post amissa requiras,
ante ueni et subolem armento sortire quotannis.
「ところでその体を取り換えたいと思うものが常にあるだろうが、
もちろんいつも取り 換えなければならない。そして後で失ったも
のを嘆くことのないように、毎年群れのために新しい品種をあら
かじめ選ばなければならない。」(『農耕詩』3.69-71)

ここでは、トーンが一転し、群(むれ)全体の「永続性」が問題となります。個々の家畜の命が はかないことを嘆くのではなく、いかにして淘汰の技術を成立させるかに詩人の関心は 向けられます。

このように、今見た6行の表現には、家畜の生命をめぐる2つの対照的な見方が凝縮して描かれていますが、この強烈なコントラストには、詩人のどのような意図が読みとれるでしょうか。

1つの手がかりは、ルクレーティウスの死生観との関連を考えることによって得られます。ウェルギリウスは、第2巻エピローグのいわゆる「農耕賛歌」(2.458-542)の中で、ルクレーティウスの自然観と幸福観に言及し、「事物の因果関係を理解し、すべての恐怖と、祈りを聞き入れない運命と、貪欲なアケロン(地獄)の 喧噪とを足下に踏み敷くことのできた者は幸いである。」(2.490-492)と述べています 。

ルクレーティウスは、『物の本質について』(De Rerum Natura)第1巻262-264で、ある物の死から別の誕生を生み出す自然(natura )の営みについて、(エピクロスの)原子論の立場から説明しています。この考えを根拠にして、この詩人は死の恐怖が無意味なことを説いています。一方、ウェルギリウスの示す淘汰の技術(ars)も、基本的には「死は(新たな)生の始まり」という死生観を反映すると考えられます。これは、一種の「本歌どり」(=伝統の創造的模倣)です。

逆 に、ルクレーティウスが批判した「死は生の終わり」とみる考え(こう考えることで人々は、死の恐怖に苦しめられる)は、「厳格で非情な死の定めが(生を)奪い去る。」とみなす考え方と同じです。つまり、冒頭で見たウェルギリウスによる家畜の飼育の記述は、一方において、家畜の淘汰を行う技術について物語るとともに、他方では、死生観をめぐるルクレーティウスの考えを色濃く反映していることがうかがわれます。

この表現上の「仕掛け」は、『農耕詩』第2巻のエピローグ(「農耕讃歌」)で、詩人がルクレーティウスの死生観に言及していた事実と無関係ではありません。第2巻の終わりでは、質朴な農夫の生活が、富や名声を追求する都会の生活と対比的に描かれてます(この点をふまえて「農耕賛歌」と呼ばれる)。

その中で、詩人は一見唐突に、ルクレーティウスの死生観に言及するのです。さらに、この死生観に対置して、「一方、田園の神々、パーンや、老いたシルウァヌス、ニンフの姉妹を知る者(=農夫)も幸いである。」と述べている点も注目されます(神を知る立場はルクレーティウスの立場と相いれない)。

では、なぜ農耕生活の賛美を行う箇所で、詩人はルクレーティウスの死生観に言及し、かつ、彼の示唆した幸福と農夫の幸福を対置しているのでしょうか。この問題については、多くの学者が色々な解答を与えてきましたが、私の解釈は、『農耕詩』における独創性の問題』において詳しく示しました。

唐突ですが、ここで『方丈記』の冒頭の言葉を思い出してもよいかもしれません。「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。」川はとうとうと流れる、だが、川面に落ちた花びらに目を落とすと、それは静かに下流に向かって流れていく。

みなさんは個々の生命の有限性と生命の永続性の問題をどのように考えますか。ちなみに、ルクレーティウスは、個々の原子の多様性(原子はみな同じではない)を想定することにより、生物の固有性の問題を考えようとしました。(cf.第2巻)

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