人生を演じきる:キケロー『老年について』

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キケローは人生を劇に例え、ある場面の役者は自分の役を演じきったら、劇の最後まで残っていてはいけないといいます。この世に於ける自分の役はなになのか?何を演じきることが自分の務めなのか。日頃なかなか立ち止まって考える余裕はありませんが、折を見て考えてみたいものです。

70節. Neque enim histrioni, ut placeat, peragenda fabula est, modo, in quocumque fuerit actu, probetur, neque sapientibus usque ad ‘Plaudite’ veniendum est.

Breve enim tempus aetatis satis longum est ad bene honesteque vivendum; sin processerit longius, non magis dolendum est, quam agricolae dolent praeterita verni temporis suavitate aestatem autumnumque venisse.

Ver enim tamquam adulescentiam significat ostenditque fructus futuros, reliqua autem tempora demetendis fructibus et percipiendis accommodata sunt.

実際、役者にとって、人を喜ばせるためには、劇の最後まで演じるべきでない、どこであれ、彼の登場する場面において、彼が評価される限りは。また賢者にとっても(sapientibus)、「みなさま拍手を (Plaudite)」にまで至らなくてもよい。

というのも(enim)、人生の(aetatis)短い(breve) 期間は(tempus)、立派に(bene) 誠実に(honesteque) 生きるには (ad…vivendum) 十分(satis) 長いからである(longum…est)。もしそれ以上長く生きても、春の(verni) 季節の(temporis) 甘美さが(suavitate) 過ぎ(praeterita)、夏や秋が訪れたといって農夫が嘆くように嘆くべきではない。

実際、春はいわば青春時代を意味し、未来の収穫を約束するのに対し、残りの季節は、収穫を刈って取り入れるのにふさわしい。

関連図書:

老年について (岩波文庫)
キケロー 中務 哲郎
4003361121

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

コメント

コメント一覧 (4件)

  • […] 「ブレウェ・テンプス・アエターティス・サティス・ロングム・エスト・アド・ベネ・ホネステークェ・ウィウェンドゥム」と読みます。 breve は「短い」を意味する第三変化形容詞 brevis の中性・単数・主格です。 tempus は「時」を意味する第三変化中性名詞、単数主格です。 aetatis は「生涯、人生」を意味する第三変化女性名詞 aetas の単数属格です。 satis は「十分に」を意味する副詞です。 longum は「長い」を意味する第一・第二変化形容詞、中性・単数・主格です。 前置詞 ad は動名詞(vivendum)を伴い目的を表します。「・・・するために」となります。 bene は「よく」を意味する副詞です。 honeste は「誠実に、りっぱに」を意味する副詞です。 vivendum は「生きる」を意味する第三変化動詞 vivo の動名詞です。 「人生の短い時間は立派によく生きるには十分長い」と訳せます。 キケローの『老年について』に出てくる表現です。 前後関係を知りたい方はこちらの記事をどうぞ。 […]

  • お尋ねしたいことがあります。もしよろしければ、ご教授お願いいたします。

    sin processerit longius, non magis dolendum est, quam agricolae dolent praeterita verni temporis suavitate aestatem autumnumque venisse.

    agricolae dolent…の箇所ですが、praeterita verni temporis suavitate は、独立奪格構文と考えてよろしいのでしょうか。つまり、解釈上、praeterita の前と suavitate の後ろにカンマを補って、動詞 dolent と切り離して読んで良いのでしょうか。というのも、doleoは奪格も後続し、「対格+不定詞」も後続すると辞書に書かれているので、praeterita verni temporis suavitate を動詞に結びつけて読むか否かが疑問だからです。aestatem autumnumque venisse を動詞に結びつけて読むのは確かだとは思うのですが、praeterita verni temporis suavitate も動詞に結びつけて読むか、あるいは、切り離して独立奪格構文で読むか、教えて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?

    ちなみに、私は48歳で、ラテン語勉強(独学)歴2年ぐらいの初心者です。

  • 山下です。ご質問の件についてお返事します。ご推察どおり、「praeterita verni temporis suavitate は、独立奪格構文」と考えるのがよいです。かりにdolent +suavitateと考える場合、ふつうは奪格の前に deかexをつけます。それが可能だとしても、悲しむ内容の一方が名詞句(praeterita…suavitate)で、他方が不定法句(aestatem autumnumque venisse)というのは構文として不自然です。

  • 山下さま
    ご回答ありがとうございました。ご説明、とてもよく分かりました。独立奪格構文で読みたいと思います。とすると、意味的には、dolent の対象は「夏と秋が来たこと」であって、「心地よい春の季節が過ぎ去った」ことは dolent の対象ではないということですね。「夏と秋」が「老い」に重ね合わされて、「老い」の到来を嘆き悲しむなという主張だと理解できました。語学的には、悲しむ内容が2つだと考えるには、両者の間に文法的な等位性が必要だということですね。すると、等位接続詞も、その場合は、必要になりそうだ(あくまで可能性ですが)と理解できました。本当に、ありがとうございました。ご回答の早さも、先生のお人柄の、誠実さと優しさを強く感じさせて頂きました。私の方は、仕事で返信が今となってしまいました。また、ご無礼を承知で申し上げますが、これからも、なにとぞ、ご教授、よろしくお願いいたします。このたびは、ありがとうございました。
    矢野剛

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