定義と縁取り

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定義と縁取り

「定義」とは英語でdefinitionという。動詞はdefineである。これらの語はラテン語で「端、終り」を意味するfinis(フィーニス)を含んでいる 。

たとえば、我々がカメラで写真を撮る場合構図を意識するが、それはどこからどこまでをカメラにおさめるのか、いいかえれば「端をどこに設定するか」という問題を意識するのと同じである。言葉によって世の中のすべての事象を「定義」することができないのは、眼前の風景すべてをファインダーにおさめられないのと同様である。

しかし、それにも関わらず、我々は旅先の風景を前にしてカメラを構え、人生の想い出を記録しようとする。そしてその記録を残すことと見ることに喜びを感じる。同様に、人生において直面する諸々の問題を自分の言葉で「定義する」ことによって、貴重な想い出をたくわえることが可能である。そしてこのプロセスに喜びを見出すこと自体、本来自然なことなのである。

欧米人と話をしていると、彼らはしばしば「人生とは?」「愛とは?」といった問いを平気で日常会話の中で繰り出してくる。一方、日本人の日常会話はどうであろうか。日本人が欧米人と話をしていてまごつくのは、単に外国語そのものが苦手であるばかりか、この手の議論の仕方に不慣れなせいもあるように感じる。

たとえば、プロのカメラマンの撮った写真集の見せる風景は美しく素晴らしいけれども、自分が実際に旅をし、自分で撮影した写真はかけがえのない価値を有するものである。逆にいえば、自分で撮影する経験を持つ者は、そのシーンをプロのカメラマンが撮影した場合、その作品をよりよく味わうことができるだろう。同様に、言葉のプロフェッショナルによる人生の定義集、すなわち文学作品は、普段から自分の言葉で人生の様々なテーマを定義しようと努めている人こそ、その真価を味わえる作品といえるのだろう。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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