SANDER M. GOLDBERG: Epic in Republican Rome, Oxford, 1995.

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SANDER M. GOLDBERG: Epic in Republican Rome, Oxford, 1995.
『西洋古典学研究』45(1997)pp.115-118)

本書の著者は,序において,初期ローマ叙事詩の断片は,これまでテクストとして編纂されてきたものの,詩として扱われることはほとんどなかったという.あるとしても,ウェルギリウスの偉大さを引き立てる目的で言及されるだけで,決して個々の詩人の創作意図が真摯に問われることはなかった.しかし,ウェルギリウスの独創を知るためにも,ローマ人にとって叙事詩が何を意味したか,その規範を明確に知る必要があるだろう.ナエウィウスやエンニウスの断片は,ローマ叙事詩の全体像を照らし出す貴重な資料にほかならない.

このような立場から,第1章では,従来の「先入観」に彩られた解釈の妥当性を検証することにより,個々の詩人の独自性に新たな光が当てられる.Wilkinsonは,エンニウスが詩の構成を整える技を知らなかったと論じたが,『年代記』の断片248-49番には,ウェルギリウスの詩句には見られない独特の構成美が認められる.また,同324 番のGraecia Sulpicio sorti data, Gallia Cottaeという表現について,SkutschはGraeciaとGalliaの2語が史実に反することを指摘するが,著者は頭韻法が用いられている点に注意を促し,新しい解釈の可能性を提示する.著者によれば,これらの断片の解釈は,文献学的分析ないしは歴史学的背後関係の解明だけでは十分とはいえない.歴史学と文献学の一方に偏らない立場は,本書に一貫して認められる姿勢である.

第2章では,主にリーウィウス・アンドロニクスとナエウィウスの作品成立に関する歴史的背景が概観されている.このうちナエウィウスの作品内容に関しては,神話的出来事と歴史上の出来事を結びつけた点,言い換えれば,ローマ繁栄の必然性を神話的に解釈した点にこの詩人の独自性が認められるとみなしている.

つづく第3章においては,リーウィウス・アンドロニクスの断片が,手本となった『オデュッセイア』の対応箇所と一字一句照合され,文献学的観点から精緻な検討が加えられている.いわゆるサトゥルニウス詩形の洗練がいかに行われたかという興味深い問題点について,ひとつの明快な解釈が与えられる.

第4章は,エンニウスの『年代記』を主に扱っている.ホメロスの受容という観点から『アエネイス』と綿密な比較が行われる.韻律の分析も豊富で,エンニウスの採用したヘクサメトロスが上述のサトゥルニウス詩形に比べ,ホメロスの作品をラテン語に移す上でいかに有効であったのかを具体的に論じている.また『年代記』の随所に窺える「ローマ化」の試みは,歴史と神話の2つの要素を結合させたナエウィウス的手法の発展として紹介され,ヘクサメトロスの韻律と共にウェルギリウスがこれを継承したと解説される.この問題との関連で,著者は『アエネイス』第8巻エピローグに関するLessingの見解を取り上げ,ローマ叙事詩の特質を十分理解せずに行われる解釈の典型としてこれを退ける.

つづく第5章では,これらの詩人の活躍が当時の歴史的背後関係との関連で論じられる.表面的には,断片の引用よりも人物名や年号の列挙が目に付くが,著者の論点は明快である.先に引用した『年代記』の断片324番 Graecia Sulpicio sorti data, Gallia Cottaeについて,Skutschは,エンニウスが「雇われ詩人」の立場から史実に反する表現をとったと説明したのに対し,著者はあくまでこの表現の有する詩的効果に関心を抱く.また歴史的観点から見ても,Skutschがエンニウスをめぐる当時の人間関係を知る手がかりとして利用したリウィウスの記述(31.10-11,47-48)は,十分説得的なものではない.さらに当時のclientelaの概念を考慮に入れるとき,詩人は表現の自由を放棄してまでパトロンに過分の配慮を行ったとは考えられない,と主張する.この見解を敷衍する形で,著者はエンニウスのヴィジョンが党派にとらわれない国民的叙事詩を創始することにあったことを述べ,その背後に横たわる「誉れの概念」のローマ的変容について,カトの資料を取り上げつつ解説していく.

第6章ではキケロが創作,あるいは翻訳した叙事詩に光が当てられる.キケロはローマの叙事詩の伝統的要素をいかに詩作に取り込んでいるのか,あるいはそれを拒否しているのか,また,同時代の詩人,ルクレティウスやカトゥルスの技法といかに共通する要素がその表現において認められるのか――これらの点について,著者はキケロの残した詩句をもとに考察を進めている.著者によれば,キケロはエンニウスの成功の秘密が,前章でふれた新しい誉れの概念の提示に依拠することを心得ていたが,このことは詩人キケロにとって最大の不幸であったという.己の生きた時代をあからさまに詩に歌うこと,まして己を主人公とする叙事詩を書くことは,エンニウス以降確立しつつあった新しい叙事詩の規範から逸脱する行為であったからだ.しかしながら,キケロは今日伝わる断片において,”o fortunatam natam me consule Romam” (“o fosrtunate Rome, born in my conslship,”) と歌っていることが確認される.本章の後半は,『アエネイス』におけるアエネアスとトゥルヌスの描写の相違に注意を促したのち,ホメロス的英雄像を墨守したキケロと,新たな英雄像を創造したウェルギリウスの比較を行っている.

第7章は最終章であり,先行する各章で展開した議論が簡潔に要約されている.単なる要約ではなく,新しい資料,エピソードを織りまぜて議論が組み直される.リウィウス・アンドロニクスからナエウィウス,エンニウスを経て,キケロに至るローマの叙事詩の変遷を知る上で,恰好の鳥瞰図を提供するものとして貴重である.

上に見たように,本書はローマ叙事詩の大きな流れを対象として筆を進めるため,個々の作品の言及箇所について,どこまでがすでに議論済みであり,どの点に著者の新しい解釈が示されているのかがやや不明確に見える場合がある.また,ウェルギリウスに至る叙事詩の流れを扱うのであれば,カトゥルスやルクレティウスへの言及が,もう少し多くてもよかったのではないかという思いも残る.しかしながら,著者のバランスの取れた視点は,叙述の隅々まで行き渡っており,充実した読書の手応えを感じさせてくれる.著者自ら最後に記しているように,ウェルギリウス以降のローマの叙事詩の展開については,P.R.Hardie, The Epic Successors of Virgil, Cambridge (1993)において詳しく論じられている.

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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