ラテン語にMementō morī.という表現があります。
この言葉を発音すると「メメントー・モリー」となります。日本ではこのカタカナ表記でもよく知られている言葉です。mementō が「覚えておくように」という意味の命令形で、その内容が不定法の morī (死ぬこと)が表しています。
同じ趣旨のラテン語に、Vīve memor mortis. (死を心に置いて生きよ)があります。「カルペ・ディエム(その日を摘め)」(Carpe diem.) や「死は確実、時は不確実」(Mors certa, hōra incerta.)といった言葉も広い意味ではメメントー・モリーと同じメッセージを伝える言葉と言えるでしょう。
『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼 重剛著、岩波文庫)の解釈によれば、有名な 「汝みずからを知れ」(ギリシア語で「グノーティ・サウトン」、ラテン語で cognosce tē ipsum.)の意味するところは、「汝は不死なる神ではなく、死すべき人間であることを自覚せよ、ということ」だそうです。ということで、 Cognosce tē ipsum. もメメントー・モリーのグループに入れることにしましょう。
例えば病などで入院し、死を意識することで人生観の転機を迎える人は大勢います。できれば、健康な毎日の中にあって、死を意識し、心身の健康を保つことができれば言うことないわけです。もちろん、死ぬことを強く意識しすぎると食事ものどを通らないかもしれませんが、メメントー・モリーのメッセージはむしろ今を楽しむことを強く促す言葉として、古来座右の銘にされてきました。また、「死を忘れるな」といわんばかりに、ヨーロッパでは骸骨をモチーフとした芸術作品や装飾品も数多く作られてきました。
ここで、「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり 」という兼好法師の言葉をを思い出す人もいるでしょう。まさしく日本語版「メメントー・モリー」にほかなりません。「徒然草」からは次の箇所も引用しておきます。、
「死期はついでを待たず。 死は前よりしも來らず。 かねて後に迫れり。 人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覺えずして來る。 沖の干瀉遙なれども、磯より潮の滿つるが如し」(吉田兼好 『徒然草』 第155段)
古今東西を問わず、人生の要諦を表す言葉はそう変わるものではないようです。
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