授業メモ

2018-11-19 学生の答案1

セネカは『人生の短さ』において、『人々は人生が短いと嘆いているが、それは本来長い人生を浪費して短くしているだけだ』 1 と指摘し、その例を細かく分類している。一方で、どの様な人が長く生きているかについては、『偉大な人物、つまり人間の犯すもろもろの過失を超絶した人物は、自己の時間から何一つ取り去られることを許さない。それゆえに、この人生はきわめて長い。』 2 と述べ、また『万人のうちで、英知に専念する者のみが暇のある人であり、このような者のみが生きていると言うべきである。』 3 と述べている。つまり、セネカによると人生が長いかどうかは、いかに自分の為に時間を使えているかどうかということになる。

では、なぜ哲学を中心に捉えると長くなるのか。そもそも、哲学という言葉は、「知を愛する」と訳されることから、現代の諸科学のように特定の一分野を指すのではなく、真理への志向を意味する言葉である。そして、真理を追究するとは、他人との比較や損得勘定をなくした個人的な営みである。したがって、哲学を中心に置くということは、人生を浪費することなく真理の追究に没頭していると言えるため、そういった人の人生は長いと言えるのだと考える。(502文字)

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1 セネカ『人生の短さについて』、茂手木元蔵訳、岩波文庫、1980年、9頁。
2 同前、23頁。
3 同前、42頁。

上の答案に次の感想が続きます。

セネカの人生の考え方について感じたこと

現代の感覚でいうと、時間が長く感じる時はその人は退屈していると考えられ、反対に、短いと感じる時というのは、楽しんでいる、充実していると考えられる。したがって、長さは人生の良し悪しの判断材料には出来のではないかと思う。

では、良く生きるにはどうすればいいのか。セネカは、哲学を中心に捉え、真理の追求のために自分の時間を確保できることだと考えている。私はこの考えにおおむね賛成である。しかし、「哲学中心」という部分を「自分の理想」と置き替え、それに向け没頭できているかどうかが良い人生かどうかの判断材料だと考えたい。というのも、理想を追い求めている時とは、脇目も振らず自分の向上心に従い高みをめざしている状態と言える。理想の内容にもよるが、この過程において人は自分から知識を得ようとするであろうし、時にはそれこそ、セネカが推奨しているように、古代の哲学者の言葉を手掛かりにすることもあるかと思う。

もちろん、大半の人間が常にこのように生きられるとは思わない。セネカが人生を短くするものの一つだと警告する、怠惰や放蕩に流れてしまうこともあるかと思う。しかし、「自身の理想の追求」という姿勢を念頭においておけば、それも良い人生を作る一部だと私は考える。旅において、目的地前のより道が楽しいように、人生にもそういうものがあってもよいであろうから。

したがって、人生を削るような浪費を避けた上で、必要な寄り道と自身の理想を持って歩むことが、長さ短さにとらわれない良い生き方ではないか。これが、30歳を過ぎ仕事を辞めて新しく大学生となった私が、この本を読んで改めて考え直した人生の歩み方だ。

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