授業メモ

2018-10-22 授業メモ

受講生のみなさんへ

シラバスは念頭に置いていますが、ライブで話したことの流れを大事にしたいので、シラバス通りには進まないことをご了解ください。代わりにこの「授業メモ」にてシラバス以上にアップトゥデイトな授業のメモと次回の予告をお伝えします。なお、私自身このメモを読み返し、随時加筆修正することもお含みおきください。

前回の振り返り

  • 言葉の再定義は喜びである。カメラで風景を「切り取る」のが喜びとなりうるのに似て。「定義」とは「縁取る」こと。写真撮影は一流の「フォトグラファー」の特権でないように、言葉の再定義は「専門家」のみに許される行為ではない。むしろ人として生きるすべての人間に与えられた自由な営みである。受動的に他人の定義を受け入れるだけでは人生は面白くない。むしろ、世の中の様々なキーワードについて young at heartな(既成の概念にとらわれない)人間が言葉の「再定義」に有利なはずである。(「Aを再定義する」例として、「工事現場を再定義する」、「がん治療を再定義する」等)。世間の言う「柔軟な発想」というのは言葉の再定義能力を指すと私は考えるが、学校教育はその力の養成に無力である(悪口でなく孔子の言う「学ぶ」場所だから)。だから、大学生になった今、それは自分でやる(大学は孔子の言う「思う」場所でもあるから)。
  • 日本語の和製漢語の再定義を行うと新鮮な視点が得られる。方法として:日本語(esp.和製漢語)→英語→英語の語源=ラテン語(orギリシア語)→英語→日本語。
  • 和製漢語と上のプロセスで得られた日本語とのズレに着目する。
    • 例1) 勉強→study→studium→passion→情熱。
    • 例2) 学校→school→skhole→leisure→暇。
  • 勉強とは何か」を西洋文化論的に考える。
    • 考えること=疑うこと=問うこと=批判すること。
    • デカルトの方法的懐疑。Cogito ergo sum.の英訳(I think therefore I am.)はヘレンケラーに生きる勇気を与えた。なぜか。
    • 「考えること」は洋魂か、和魂か、人間の魂か。
    • 「和魂洋才」の問題について。洋魂を知らずして、人間の普遍的魂のありようは理解できない。→今、ラテン語を学ぶ意義について。

「子曰わく」をめぐって

  • 子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。 子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。
    • 「学ぶ」は知識の習得の意味で、「思う」は自分の解釈を行う意味で使われている。
    • 子曰の書き下しは、「子曰く」か、「子曰わく」か。
  • キケローのipsedixitism批判
      • ipse dixit.でよいのだろうか、という問い。
      • ipsedixitismを容認するか、否定するか。あなたはどう考えるか。
      • キケローの主張(『神々の本性について』1.5)。
      • 議論を行うさいには、権威よりも理論の説得力こそ求められるべきである。じじつ、我こそは教える資格ありと公言する者の権威などは、何かを学ぼうとする人間にとってしばしば害をなす。なぜなら、学ぼうとする者は、やがてみずから判断することをやめ、自分が正しいと是認した人間の判断をすべて鵜呑みにするようになるからである。それゆえ、わたしはピュータゴラース派について耳にする風評をとうてい是認する気持ちにはなれない。すなわち、かれらは論争で何かを主張するさい、その論拠を尋ねられると、決まって「かの人自身がそう言ったから」と返答するのがつねであったと言われている。「かの人」とは他ならぬピュータゴラースのことであった。このようにピュータゴラース派のあいだでは、論拠もないままに一つの権威が絶対的な力をもつほどに先入観が支配的であったのだ。

      • このテーマを「西洋文化論」的に展開すると、「Ipse dixit. 子曰わく」(「山びこ通信」(2013.11)巻頭文)など自由にエッセイが書ける。

次回の課題

次のどれかの予定。
「人生」を再定義する。セネカの Ars longa, vita brevis.をめぐって。英訳はArt is long, life is short.それぞれの日本語訳を考える。『人生の短さについて』(De brevitate vitae)の逆説。「健全な精神は健全な肉体に宿る」について。精神と肉体を鍛錬すればよく生きることができる?(生き方論?)。ユウェナーリスの言葉の本当の意味は?
「哲学」とは。Cultūra animī philosophia.(キケローの定義)
「愛」とは。Omnia vincit Amor.(Vergilius)
「労働」とは。ヘーシオドスの解釈(ギリシア神話における労働観)。ローマのウェルギリウスによる再定義。Labor omnia vīcit.
「国家」とは。キケローの「国家について(Dē Rē Pūblicā)」について。第6巻、「スキーピオーの夢」について。

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