前回の振り返り
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- 言葉の再定義。→「定義」
定義とは「境界を画すること」(dēfīniō)
リンク先はオンラインの羅英辞典。左上のLewis&Shortをクリックするとdēfīniōの頁に変わる。
オンラインの羅和辞典はこちら。自分でdefinioと入力すると訳語が得られる。
→授業で「印象(impression)」を得て「表現(expression)」につなげる。
勉強とは何か
なぜ学ぶのか?→自分の頭で考えるために。→「考えるとは疑うこと」。
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- 「疑うとは問うこと」。「問うことは批判すること(criticize)」。
- 「批判」とは。criticの語源:from Greek kritikos “able to make judgments,” from krinein “to separate, decide”
- 人はよりよい判断を下すために批判を行う(疑う、問う、質問する)。
- 「聖なる好奇心」(アインシュタイン)
- 「ニューヨークとは何か」(司馬遼太郎)
- デカルトの「方法的懐疑」。Cōgitō ergo sum.
- 「Vīvere est cōgitāre 生きることは考えること」(キケロー)
- ヘレンケラーのデカルト解釈
- 問い:「考えること」(疑うこと、問うこと、批判すること)は「洋魂」か「和魂」か、それとも「人間の魂」か。
次回の課題
学びの二つの形について
- 子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。 子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。
- キケローの(“Ipse dixit.”)について。
- ipsedixitismをめぐって。容認するか(和魂?)、否定するか(洋魂?)。
「学ぶ」は知識の習得の意味で、「思う」は自分の解釈を行う意味で使われている。