英語とラテン語

モラルとマナー

モラルとマナー

日本語の「道徳」に相当する英語としてはモラル(moral)がある。この言葉はラテン語の mos(モース)に由来し、その基本的意味は「習慣」、「風習」である 。古代ローマ人は、mos majorum (モース・マイヨールム)を尊重したが、これは「祖先の習慣」、意訳すれば「祖先の生きた道」のことである。モラル(道徳)はマナー(作法)と違って、身振り手振りで教えることのできるものでなく、個々人の心の中で日々蘇らせるものである。

「祖先の生きた道」に近づくもっとも確実な方法の一つは、古典文学 を読むことではなかろうか。日本語で「古典」というと、「古」という字が示すように、昔書かれ、今も読み継がれる作品という意味になる。一方、英語のクラシックス(classics)という言葉には「古い」という意味はない。語源はラテン語のclassicus で「最高クラスに属する」という意味を持つ 。

一方、マナー(manner)の語源は、ラテン語で「手」を意味するマヌス(manus)である。マヌスに関連した英単語に manicure(マニキュア)があるが、この言葉には、「manus(手)を cureする(世話する) 」というニュアンスが認められる。

ラテン語のマヌスとつながりを持つ英単語は案外多い。マニュアル(manual)は、形容詞だと「手による、手動の」、名詞だと「手引き書」のことで、やはり「手」と関係している。manufacture(工場制手工業)や manuscript(手書き原稿)にも同様の関連が認められる。その他 manage(運営する)、manifest(明らかな)、maintain (手で支える=保持する)といった単語もラテン語の manus (手)とつながりを持っている。

ちなみに、「マンネリ」の英語表記は、mannerism であり、マナー(manner)にイズムをつけた形である。何事につけ「マナー」が大切なのは当然であるが、それをあまりに強調しすぎると、文字通りマンネリ化する。実際マナーは――モラルと違って――時代によって、場所によってその中身が異なるのである。

モラルやマナーの話が出たついでに、道徳の「徳」に当たる virtue という英語に注目したい。virtueは通例「美徳」と訳されるが、語源はラテン語の virtus (ウィルトゥース)である。元来「男(vir)らしさ」というニュアンスをもっていた。「男」を特徴づける要素として、戦場での「勇気」、「武勇の徳」を意味していたのである。

ローマでvirtus (勇気)と並んで重んじられた徳目に pietas (ピエタース)がある。英語には piety (敬虔)という形で取り込まれているが、ローマにおいては、神を敬う心に加え、運命を尊ぶ心、国家への忠誠心、家族や友人への愛情など幅広い意味を持っていた。ウェルギリウスは叙事詩『アエネイス』の中で、ウィルトゥースとピエタースを備えた理想的英雄として主人公アエネアス(ローマ建国の祖)を描いている。

 一方、ローマの風刺詩人ユウェナーリスはProbitas laudatur et alget. (徳は賞賛されるが寒さで震える)と皮肉を述べた。Probitas (プロビタース)は英語のprobity の語源であり、honesty とほぼ同じ意味を持つ。誰もが口では「徳」を称えるが、日々それを実践する者、心からその価値を信じる者はあまりに少ない。よって、「徳」は寒さで震えている、というのである。そういえば、あのビリー・ジョエル も、"Honesty is such a lonely word." (「誠実さ」というのはあまりにも孤独な言葉だ)と歌っている。

だが、「徳」は果たして孤立するのだろうか。もし本当に孤立するものなら、それは無数の人間が踏みしめる「道」――すなわち「モラル」――とはならなかったはずである。中国の古典『論語』において孔子は、「徳孤ならず、必ず隣あり」と述べた。自分自身が「徳」を求めることは言うまでもないが、さらに「隣」に気づく力、あるいは見抜く力が重要だとされる。これは大切にしたい言葉であり、着眼である。単に私がそう思うだけではない。過去から現在に至るまでそう思う人間が無数にいたからこそ、今我々はこの言葉を読むことができるのである。

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