「農耕賛歌」(訳):ウェルギリウスの『農耕詩』第2巻エピローグ

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ウェルギリウスの『農耕詩』第2巻エピローグでは、幸福な農夫の生活が描かれる中、

「事物の根元を知り、すべての恐怖と、祈りを拒絶する運命と、アケロン(冥界)の絶えることのない喧噪とを、足下に踏み敷くことのできた人は幸いである。」

とエピクルス派の詩人ルクレーティウスの幸福観が言及されています。

なぜ詩人はこのような場所で、このようなことを述べる必要があるのでしょうか。この問題については、論文『農耕詩の独創性』の中で扱いました。

458
ああ、自分たちの境遇をよく知るなら、農夫らはあまりに幸福だ。剣による争いから遠く離れた彼らに、大地は生活の糧を極めて公正に与えてくれる。たとえ朝方に、堂々たる門構えの高層の館が、すべての広間からおびただしい訪問客の波を吐き出すことがなく、また美しい鼈甲(べっこう)をはめこんだ側柱や、金襴の衣、コリントゥスの青銅器に見とれることもなく、白い毛織物をアッシリアの染料で染め上げたり、透明なオリーヴ油に肉桂を混ぜて使うことがなくても、

農夫らには、穏やかな休息と、欺瞞を知らぬ様々な宝に満ちた生活、広い田園の中での閑暇がある。洞窟、自然のままの湖、涼しい谷間、牛の鳴き声、木陰の快いまどろみ等、何一つかける物はなく、林間の空地や獣の隠れ場もある。若者たちは、労働に耐え、質素な暮らしに慣れ、神を敬い、年長の人々を尊敬する。正義の女神が地上から去ったとき、その最後の足跡は彼らの上に印されたのだ。

475
だが、私が何よりも願うことは、美しき詩の女神たちが、大いなる愛 にうたれ、神聖な印を捧げ持つこの私を受け入れてくださること である。天の道を辿りゆく星や、太陽と月の様々な食について語り、さらに、 地震はどこから発生するか、深い海はいかなる力で盛り上がり、堤に 砕けた後、また自ずから元のところへ退いていくのか、冬の太陽はなぜあの様に大急ぎで海に浸ろうとするのか、 夏の夜の訪れを遅らせるものは何かを示してくださることである。

だが、たとえこの心臓をめぐる冷たい血のため、そのような自然の 分野に近づくことができなくても、田園と、谷間を流れる川が わが喜びとなり、たとえ名声は得られずとも、川と森を愛しつつ 生きてゆければそれでいい。ああ、スペルケオス川がうるおす野原と、スパルタの乙女らが飲み 浮かれるというタイゲタの山脈はどこにあるのか。ああ、ハエムス の涼しい山間の、枝々の大きな影の下に、私を立たせてくれる者は誰なのか。

事物の根元を知り、すべての恐怖と、祈りを拒絶する運命と、 アケロン(冥界)の絶えることのない喧噪とを、足の下に踏み敷く ことのできた人は幸いである。だが、田園の神々、パンや老いた シルウァヌス、ニンフの姉妹を知る者もまた幸いである。

495
人民から与えられる権力も帝王の紫衣も、兄弟同士を戦わせる内乱 も、イステル川と共謀して急襲してくるダキア人も、ローマの権勢 も、滅びゆく王国も、農夫を動かすことはできなかった。彼は貧しい人々を憐れむという苦しみを知らず、富者を羨むこともなく、 枝々になる果実や、畑から自ずと生まれる作物をつみとり、厳酷な 法律や、狂騒の中央広場や、公共文書館を見ることもなかった。

他の人々は、未知の海を櫂でかき乱し、武力に訴え、宮廷や、諸侯 の館に入り込む。また一方では、都市を滅ぼし、その家々を不幸に 陥れる者がいるが、それも自分が玉杯で酒をのみ、テュロスの緋色の シーツで眠るためである。

ある者は財宝を隠し、埋めた黄金の上に横たわって眠る。ある者は 演壇の前に呆然と立ち尽くし、またある者はあんぐりと口を開け、 貴族と平民がこぞっておくる、全客席に鳴りわたる拍手に 陶然とする。自分の兄弟の血にわが身を浸して喜び、愛する家庭を 捨てて亡命し、異国の太陽の下に新しい祖国を求める者さえいる。

513
だが農夫は、曲がった鋤で大地を耕す。これが一年の労働であり、 これによって祖国と幼い孫たちを支え、牝牛の群と忠実な牡牛を、 養い育ててゆけるのだ。一年の収穫として、果物や家畜の子、穀物の束で満ち溢れ、 その実りが畝に重くのしかかり、納屋をつぶすほどになるまでは、 つかの間の休息もありえない。冬が来ると、オリーヴの実は圧搾機でつき砕かれ、豚は木の実を 飽食して小屋に帰り、森にはキイチゴの実がなる。秋は様々な果実を地に落とし、高く、日当たりのよい岩地の家で は、ブドウがほど良く熟している。

農夫のかわいい子供たちは、彼の首にまつわって口づけを求め、 汚れなき彼の家は、貞潔のしきたりを守る。牝牛は重く乳房をたれ、 青々とした草の上では肥えた子羊が、角と角とを付き合わせて 争っている。農夫自身は祭りを行う。草の上に足を延ばし、真ん中に火をおき、 仲間たちが酒杯に花づなを飾ると、彼は神酒を捧げながら、酒ぶね の神よ、あなたに呼びかける。それから、楡の木に的を掲げ、投げ槍競技をやろうとたくましい 肉体をあらわにする。

532
かつて古のサビーニー人は、このような生活を送っていた。これが レムスとその兄弟(ロムルス)の生活だった。こうして、エトルリアは強大になり、ローマは七つの城塞を城壁で 一つにつなぎ、世界の驚異になったのだ。いや、ディクテの王(ユピテル)がまだ権力を握らず、神を恐れぬ 人間が、牡牛を殺して食べる以前には、黄金のサトゥルヌスが地上 に住み、このような生活を営んでいた。いや、人々はまだ戦闘ラッパが鳴り響くのも、固いかなとこに据え られた剣が打たれる音さえ聞いたことがなかったのだ。だが、我々は既に遠い遠い道程を走ってきた。今や湯気を立ててい る馬の首をゆるめてやるときだ。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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