「すべての土地がすべてを生むだろう」(ウェルギリウス『牧歌』第4歌訳)

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ウェルギリウスの『牧歌』とは、田園世界の美しさや恋、歌を主題とした詩10篇(各々100行前後の短い詩)を集めた詩集です。詩人が30歳前後の頃の作品であるといわれています。次にご紹介する第4歌は、典型的な牧歌と言うには、やや社会的、政治的色合いの濃い詩です。

内乱が終結し、新たな黄金時代が今こそよみがえる、とするメッセージは、神に祝福された幼子の誕生の予言と共に、どこかしら神秘的、予言的な内容をもっています。キリスト教徒はこれを救世主誕生の予言と解釈しました。一方31行以下の表現に、カトゥルスの第64歌『ペーレウスとテティス』との関連が指摘されています。

細かい話になりますが、私は、39行目 omnis feret omnia tellus.(すべての土地がすべてのものを生むだろう)を次作『『農耕詩』』との関連で着目します。

『農耕詩』の第2巻では、109 nec vero terrae ferre omnes omnia possunt.(だが、すべての土地がすべてのものを生むことはできない)と言われており、あたかも『牧歌』で示した黄金時代のビジョンを次作『農耕詩』では否定するかのようです(否定辞necの有無に着目)。

細かな議論は、拙論、「『農耕詩』における独創性の問題」をご参照下さると幸いです。ここでは、これらの表現が、ルクレーティウスの第1巻166 ferre omnes omnia possent.(すべてがすべてを生むことが可能となるであろう。)を踏まえている点を指摘するにとどめます。

『牧歌』4(試訳)
シキリアのムーサたちよ、少し大きな事を歌おう。
葡萄畑や地味なギョリュウがすべての人の気に入るのではない。
もし森を歌うのなら、その森は執政官にふさわしいものとなるように。(3)

クーマエの歌の最後の時代が今訪れようとしている。
新たな世紀の大いなる秩序が生まれる。
今やウィルゴーも戻ってくる。サートゥルヌスの王国もよみがえる。
今や新しき子孫が高い天より遣わされる。
汚れなきルーキーナよ、あなたはただ生まれてくる子を助けたまえ。
その子によって、まず鉄の種族が絶え、そして全世界に黄金の種族が立ち上がる。
あなたの兄アポッローは、今や支配者になっている。(10)

ポッリオーよ、この誉れある時代は、あなたが執政官の時に始まり、
そして大いなる月がめぐり始める。
あなたが指導者の時、かりに私たちの罪の痕跡がいくらか残るにせよ、
それらはむなしいものになって、大地を永遠の恐怖から解き放つ。
その子は神々の生活を受け入れ、英雄たちが神々と交わるのを見るだろう。
自らもまた神々とともにいるのが見られるだろう。
父の徳によって、平和になった世界を治めるだろう。(17)

だが子よ、耕されない大地は、最初の小さな贈り物として、
一面に生えるツタをシクラメンと一緒に、
また微笑むアカンサスと混ざるハスを溢れんばかりに与えよう。
山羊は乳房を乳で満たし、ひとりでに家に帰り、
家畜は大きな獅子を恐れない。
さらにおまえのゆりかごは美しい花をひとりでに溢れさせよう。
蛇は死に、人を欺く毒草は絶え、
アッシリアの香木が一面に生えてくる。(25)

だが、おまえが英雄の誉れと父の事績を読み、
徳のなんたるかを理解できるようになれば、
野は柔らかな麦の穂で次第に黄金色に変わり、
耕されない茨の薮には赤い葡萄の房が垂れ、
堅いかしわの木からは露のような蜜が流れ出す。(30)

しかし、以前の罪の痕跡が僅かに残るかも知れない。
それは、テティスを船で脅かし、町を城塞で囲み、
大地に溝を掘ることを命ずるだろう。
その時、第二のテピュスや、選り抜きの英雄を運ぶ
第二のアルゴ船が現れよう。また新たな戦いが始まり、
偉大なアキッレウスが、再びトロイアへ送られよう。(36)

その後、成熟した年齢がおまえを一人前の男にしたなら、
海から商人は姿を消し、松の木でつくった船が商品を
運ぶこともなくなるだろう。すべての土地がすべてのものを生むからだ。
大地は鋤に、葡萄畑は斧に苦しめられることもなくなろう。
力強い農夫は今や牛からくびきを取り外す。
羊毛はさまざまな色を偽造する術を学ぶこともなく、
牧場では、羊自らが、ある時は快く赤みのさした緋色で、
またある時はサフランの黄色で羊毛の色を変えるだろう。
草をはむ羊の体を緋色がおのずと飾るだろう。(45)

「このような時代よ、走り出せ」、パルカらは心を合わせ、
運命についての確信を込めて糸紡ぎに言い放つ。(47)

おお、偉大なる誉れ、まもなくその時は来る。
神々の愛しい子孫よ、ユピテルの大いなる末裔よ、
見よ、重い天空を伴って揺れる世界を、
大地や、海の広がり、深い大空を。
見よ、いかに万物が来るべき世紀を喜び迎え入れるかを。(52)

ああ、その時この私に、長い人生の最後の一部分が残っていますように。
おまえの事績を歌うのに十分なだけの息が残っていますように。
トラキアのオルペウスもリヌスも、詩にかけてこの私を
打ち負かさないだろう。たとえ、オルペウスをその母が、リヌスをその父が
助けたとしても。
つまり、オルペウスをカッリオペーが、リヌスを麗しきアポッローが助けたとしても。
パーンでさえ、たとえアルカディア人を審判として私と競ったとしても、
パーンでさえ、アルカディア人を審判としても、自分の負けを認めよう。(59)

さあ、幼な子よ、母を見て微笑むがよい。
母は、十月もの長い苦しみを耐えてきたのだから。
さあ、幼な子よ、両親に微笑まない子を、神は食卓に、
女神はふしどにふさわしい者とはお考えにならないであろう。(63)

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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